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当時を認知で

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当時を認知で


だから、その小学生の頃は、夏になると悪化するその皮膚病が良くなるように、その妹のために、妹と母と私と、母の姉と母の姉の夫と、母の姉と母の姉の夫の子供たちと一緒に、蔵王温泉に、よく湯治にでかけた。
夏の蔵王温泉はパウダースノーを求めるスキー客が到来しないから、地元山形市住民の行くには恰好の避暑地で、皮膚病に効果があるとされる硫黄成分の強い温泉は人気があった華洋坊好唔好

夏の行楽に、母は父を連れなかった。
「お前がもう少し早く帰ってきたなら、Y子のおしりは、あんなにならなかった」
母は父を責めるだけで、連れなかった。

父は、家族を置いて、ふらりと出て行ってしまう人だったようだ。母が私を妊娠しているときも、出て行って、そして少し戻って、また出て行って、そのうちに妹が産まれて、また出て行った。数年すると、また、戻った。

朦朧とした幼子の私は、当時を認知できない。当時を知る母の姉は何も語らない。私も聞かない。

ただ父は競馬が好きで、その贅沢な趣味のために、サラ金から金を借りたり、会社の金に手を付けたり、奔放な行動をとる方向性の特殊な人だったようだ。母から聞いた防脫髮

何度目かの出奔。母と私と妹を残して、父が家出した際、生活のために、母はヤクルトの配達婦となった。
私はまだ幼稚園前。妹はオムツがとれない赤ん坊だったように思う。母が出かけると二人で長時間留守番をした。
父の兄からもらった赤い小型のテレビのチャンネルをNHKの子供教育番組に合わせ、母は出かけた。
私と妹は黙って番組を見た。
しばらくすると、幼児番組は終わってしまい、空腹と退屈が襲ってくる。
私は妹と遊んだ。
本家の物置小屋を改造した六畳一間の暗い家で、私は妹と遊んだ。
鬼ごっこは順番に鬼になって遊んだ。
馬ごっこは私が馬になって妹を乗せて遊んだ。
疲れると空腹でも寝てしまった華洋坊好唔好
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