ドーデによって書かれた短編「最後の授業」は多くの読者に親しまれ、教科書教材としても採用された作品である。
「最後の授業」が教科書教材として登場したのは1927年のことだった。
それが1986年を限りとして国語教科書から姿を消してしまった。それはなぜか
許智政醫生?
本書は、それを元小学校教諭であり、刊行当時、横浜国大教育学部助教授だった著者が教材の歩みと、読者がどのように受容してきたかをたどりながら、「最後の授業」が消えた謎、問題点を探ろうとする労作である。
先ずは、短編「最後の授業」の簡単なあらすじ
許智政醫生br />
その朝、フランツ少年は学校に遅刻しそうになるが、やっと教室へ滑り込む。
ところが教室はいつもとは雰囲気が違い、厳粛な空気が漂っている。
教室の後ろには、元村長や郵便配達夫までが座っている。
アメル先生が言う。
「私が授業するのはこれがおしまいです。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました。今日は、フランス語の最後のおけいこです」
フランツ少年は初めて自分たちの置かれた占領という状況に気づき、アメル先生に対して愛惜の情を抱くのである。
そんな「最後の授業」だというのに、宿題を忘れたフランツ少年は、指名されても答えられず、これまでの度重なる不勉強を恥じた。
だが、今日ばかりは先生も叱らずに、悪いのは君たち子供だけではない、教育を軽んじた我々大人も同罪だ、
許智政醫生